陳綺貞さん応援ブログ

台湾のシンガーソングライター、陳綺貞さんの応援ブログです。

台湾聲音2

今回も、台湾ライブに行った知人の文章を載せます。
パート2といったところでしょうか。
 
その時代の文化の最先端に魅了されるのは、若者の特権である。
わたしはすでにその時期は過ぎた。だから最近流行りの歌もまたスマホも、知らないし知らなくとも気にならない。
関川夏央氏があるエッセイで書いていたが、せいぜい20歳からあと5年程度で出会った歌までしか、人間はほんとうに歌えないし覚えられないものだ、みたいなことを書いていた。
たしかにわたしが二十歳の頃流行っていたチェッカーズから、25歳だった1989年にヒットしていたソロになった小田和正徳永英明あたりはカラオケでもっとも歌える歌としてあるように思う。

今回わたしが台湾へ旅行したのは、陳綺貞のコンサートを見に行くためだった。わたしの若い友人に誘われ、ほぼ連れて行ってもらった。彼から、陳綺貞は台湾で一番か二番かの大学出身の人気シンガーソングライターでいま非常に人気があるシンガーなんだと知らされた。
11月末のコンサートに行かないかと誘われた。最初は半信半疑でチケットが取れたら、とか答えていたが、彼はものすごいスピードでチケットを二枚確保し、航空券やホテルも予約し、パスポートを取ってくださいね、とわたしを急き立てた。
それほど彼は陳綺貞という、日本とは歴史的に親密な関係はあるが文化と言葉はまったく異なる異国のシンガーの奏でる音楽に魅了されていたのだ。
わたしは仕方なく?彼の奨めるその陳なんたらのCDを借りて、聴いてみた。
我手輪舞だったか、そんな曲が入っていた、あとで確かめると三枚目のアルバムだった。

わたしは耳を疑った。そこにはわたしが10代から20代の頃夢中になったロックミュージック~クイーン、レッド・ツェッペリンピンク・フロイドそして何よりビートルズのフレーバーが満載された音楽が鳴りはじめたのだ。
(あとでその彼に聞くと、彼女はかなりそれら60年代70年代のロックが好きらしい)
しかしまったく一緒なのではないし、台湾の若者文化が、日本の30年前と同じというわけでもないだろう。実際、ネットで調べると、陳綺貞のようなフォーク系といえる歌手は台湾では異色らしい。

結局このようなある意味オーソドックスで懐かしいロックミュージックが、まったく違和感なく自身のオリジナルな、ファッショナブルといえる新しさと融合するには、そのアーチストに卓抜した音楽性と才能が必須だ。
日本で言えば、忌野清志郎ブルーハーツ奥田民生、あと誰がいるだろう?

とにかくわたしにも懐かしく、20代の彼にも新しいこの陳綺貞というシンガーは、謎であり、コンサートを間近に観てきたいまでも、なんだか不思議な印象が持続する、独特の世界を形作るシンガーなのである。
by為才